とりあえず42回目
今日は朝から土砂降りだ、当然のことながら現場は動かない。
秋に施工するお宮さんの、鬼瓦と鯱を復元してもらうために、三州の窯元まで持っていくことにした。
中国道~名神~新名神~伊勢湾岸道を走って10時半に、いつもお世話になっている丸栄陶業さんに到着。
ちょうど4時間だ。
それから、営業のKさんと鬼瓦専門の窯元まで行って、鬼瓦と鯱を降ろして、打合せをした。
昼は名古屋名物味噌かつを食べた。(私は味噌煮込みうどんが食べたかったのだが、Kさんのおすすめで味噌かつになった。)
濃い味噌味がなかなかおいしい。
その後、H部長のマシンガントーク(この間、私はうなずく事しか許されない。隣に座っている専務さえ口出しすることは出来ない。しかし、この熱いトークにはいつもながら感心させられる。)を聞いて帰路についた。
一応、復元だが模様のバランスを少し変える事にしたので、出来上がりが楽しみだ。
(写真で見ると普通の鬼瓦に見えるよな。)
とりあえず41回目
先週の水曜日から職業訓練指導員講習を受講していたのだが、今日やっと終了した。
朝9時から夕方5時までびっちりだ。
さすがに苦しいものがある。
毎日、昼から一番の講義は睡眠学習だ。(こんな事書いていいのだろうか。)
指導員免許を取ったからといって、何か役に立つことは無いと思うのだが(こんな事書いていいのだろうか。)、いつかは取りたいと思っていた。
(1級技能士に合格すると受講資格ができる、確か1級技能士の合格通知と一緒かその少し後に講習の案内が来たような気がする。ずいぶん前なのでよく覚えていないが。)
5月23日に行われた組合の総会後の懇親会で隣の人と話していたところ、職業訓練指導員の話になった。
翌日インターネットで調べると、6月10日から講習があると知り、仕事も暇なことだし、さっそく申し込んだのだ。
一番印象に残った言葉が「ハロー効果」だ。
とにかく疲れた。
とりあえず39回目
合格証書が届いた。と言っても、わたしの物ではない。
今年の2月にかわらぶきの1級技能検定を受験した子達のものだ。
2,3日前に家のほうに届いていた物を今日持って来てもらったのだ。
わたし達の店も1級技能士が総勢6名となった。
予定より少し多めに練習した甲斐があって、二人とも標準時間内に終了した。(4時間が標準時間で、その後30分の延長時間がある、それ以上は打ち切りだ。)
一文字軒瓦の小角と切隅が悪くて、合端の時間が少し余分にかかったが、よくやった。
去年と一昨年は2級の検定委員をさせてもらったのだが、今年はそんな時間があったら「グランプリの練習をしろ」ということだった。設営も東の組合の主催なので行かなくても良かった。だから試験会場に行く必要がなかったのだが、受験者二人の様子が気になるので昼から見に行くことにした。
1人は3時間30分ほどで完成させてしまった。2級の受験者より早く終わってしまった。
今まで、わたしが見た中では最速だ。
私が受験した時を思い出す。12年前だ。
ちょうど試験の検定台が切妻屋根から寄棟屋根に変わった年だった。
願書を組合に持って行くと「今年は検定台が変わるし、東の組合の主催だから受験を見合わせる人が多い。」と聞いたが、気持ちは変わらなかった。(西の組合と東の組合が交互に主催するのだが、西の組合が主催の時は実技試験、学科試験ともに講習会を開くのだ、どちらかと言うと、西の組合に所属する人はこの年に受験する。)
この年に1級を受験したのは、わずか3名。
わたしだけが、なんとか延長時間を使って完成した。この時点で多分実技は合格するだろうと思った。
学科試験はほとんど勉強しなかった。3年前に2級と瓦屋根工事技士の試験を受けたので、大丈夫だろうと思ったからだ。
勉強していかなかった事を、試験中に後悔した。ほんまに出来が悪かった。落ちるかもしれないと思った。
まあ、何とか合格した。
ちょうど実技試験の頃が、長男の出産予定日で、実技試験前夜の練習中に、生まれるかもしれないと病院に行った。(結局その日は生まれなかった。)
私も練習を終えてから病院に行ったような、行ってないような。よく覚えてないな。
それから実技試験を終えてすぐに病院へ行ったような行ってないような。よく覚えてないな。(結局その日も生まれなかった。)
実技試験が終わると2月にもかかわらず汗だくだったのをよく覚えている。
なつかしいな。
とりあえず38回目
今日はゴルフ場へ行った。
と言っても、プレイをした訳じゃなく、割れた瓦の修理だ。
おそらくゴルフボールが当たって割れたのだろうが、一体どないしたら、こんな所に飛んでくるや。
よっぽど下手くそやな。(私もその内の1人だ。)
時々、古いS瓦の修理に行くことがあるが、無茶苦茶行儀が悪い(ネジレがひどい)、というか隙間だらけだ。
尻バネで谷がすきまくって、谷を引っ付けたら横(桟裏)がすきまくる。
歩いたらガシャガシャだ。指が突っ込めるほどすいている。
でも、雨漏りしないから良しとしよう。
しかし、S瓦を葺くことって無くなったよな。
平板瓦より洋風だと思うけどな。
(ちょっとレトロな感じかな、洋風というより洋館に似合うという感じか。)
とりあえず37回目
先日からホームページ(写真を貼り付けただけのたいしたことの無いホームページだが。)をちょこっとさわっている。
昔の写真を載せたいと思い、確か私のアルバムに瓦を焼いていた時の写真があったのを思い出し、アルバムを探していると、有った、有った。
いや、ネジレを見て選別しているのか?
他にも、鼻たらして粘土と戯れている写真とかがあった。
約40年前の写真だが、やけに大昔に思える。
私もそれだけ歳を取ったということか。
建築士会の青年部と交流を持とうという議題だ。
なんだが楽しそうだが、大変そうだ。
しかし、瓦の事や、技術的な事など、もっともっと掘り下げて勉強できる良い機会じゃないかと思う。
とりあえず36回目
連休もそろそろ終わりだ。
毎年、忙しい時期なので休むことはほとんど無いのだが、今年は少し(かなり?)ゆったりしている。
急遽、出石へそばを食べに行くことになった。
予想以上に渋滞がひどい。
それに、こんなに混雑しているのは初めてだ。
出石は何度も行っているのだが、いつも気になることがある。
塀に葺かれている万十軒瓦の勾配が異常にきつい。
寒冷地なので雪が積もらないようにしてあるのだろうと思うが、これだけきつくなくてもいいのではと思う。
無茶苦茶、葺きにくいんじゃないかな。
おいしいそばを11皿食べた。
それから少し散策。
3枚葺きの箕甲、多分私達の地域で葺くことが無い葺き方だ。
それから棟のそばまで葺かれた雪止め瓦、足場の代わりかななどと考えていると、嫁からアイスクリームを買ったという連絡が入ったので散策を終了した。
そうだ、高速料金が安いうちに今度は讃岐うどんを食べに行こう。
(可能性は少ないと思うが。)
とりあえず35回目
ほぼ1人で、約20日間。
銅線打ち、銅線つなぎ、瓦揚げ、巴瓦やのし瓦の選別、カニ面戸の合端、さすがに1人でやってると邪魔くさくなってくる。
大棟と降り棟の接点なんか1日近くかかったもんな、サンダーは途中で壊れるし。
さすがに、鬼瓦の取り付けは手伝ってもらった。
飽きっぽい私には、忍の一言だ。
箕甲の落差が大きくて結構やりにくかったよな。
それから先日(28日)、三宮でグランプリの慰労会が行われた。
ゆっくり飲みたかったので、ビジネスホテルに泊まることにした。
(私のところから神戸までは交通の便が悪いので、ほとんどの場合車で行く。懇親会などもほとんどお茶で我慢している。4月4日に行われた屋根診断技士会の総会の後の懇親会もお茶で我慢したのだった。)
夕方、現場からホテルへ行って、シャワーをして会場へ。
翌日は7:00にホテルを出て、現場へ直行。
久しぶりに三宮の夜を楽しんだ。
おいしい酒だった。
ありがとうございました。
神戸で行われた技能グランプリに出場 その5
ぐっすり眠ることは出来なかった。
昨年に比べると全く体が痛くない、慣れとは凄いものだ。
11:00から閉会式、その前の10:00に成績発表がある。
あきらめ7割、期待3割で会場のポートピアホテルへ向う。
まだかまだかと成績発表を待っていると、組合の人が成績表を持って来てくれた。
敢闘賞に入賞。
ほっとした気持ちと、悔しい気持ちとが入り混じって非常に複雑な心境だ。
敢闘賞の席を教えてもらい、席へ行くと、白い袋が置いてある。
席に着いて、袋の中をのぞくとメダルが入っていた。
(後日、表彰状が郵送で届き、祝電まで届いた。)
私は即座に箱を開けメダルを見た。
愛らしいはばタンと異人館と海。
「ええやん」と思わず言ってしまった。
しかし表彰式が始まり、表彰台の上で喜ぶ選手達を見ていると、悔しい気持ちがあふれてきた。
今日は本当に複雑な日だ。
その後、敢闘賞の表彰が行われた。
敢闘賞は受賞者全員その場で立って、代表者1名が壇上に上がりメダルをかけてもらう。
12:30頃に閉会式も終わり、同じ場所で13:00から兵庫県選手団解団式が行われた。
この時は名前を呼んでいただいて、壇上に上がらせてもらった。
記念撮影をし、選手みんなが壇上に上がり万歳三唱で締めくくった。
私のグランプリは一応終わった。
これからは、今後出場する選手たちを出来る限り支援していきたいと思う。
それから私は、一度もグランプリを見学したことが無い、来年以降ゆっくり見学したいと思う。
春の楽しみが増えた。
(誰も出ないなら、もう1回出たろかという気もある。)
とにかく感謝したい。感謝、感謝だ、この言葉しか見つからない。
















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